人の欲望を描いたナニワ金融道

ナニワ金融道に映った日本経済の肌>人の欲望を描いたナニワ金融道

1990年から1997年まで講談社(社)が発行する漫画雑誌。

モーニングに連載し、92年に講談社漫画賞、98年には同じ漫画で第2回デスカー治虫文化賞の優秀賞を受賞ています。

45歳で初めて開始した漫画で一躍スターになった彼は7年の間の漫画連載が終わると、これまで得られた持病などの理由で漫画絶筆宣言をした。

全身に漫画を描く過程で得られた病気のせいなのか、彼は連載を終えてから5年後の昨年9月に肺がんでこの世を終えてしまった。

彼はプロの漫画家ではなかった。

日本岡山(山)のした工業高校を卒業した後、デンテツ会社などを経て、大阪のキャバレーやパチンコ店員など30種以上の職業を転々とした後、漫画版に飛び込んだ。

街金融やサラ金と呼ばれる、いわゆる消費者金融を舞台にお金と人の欲望を描いたナニワ金融道やはり彼が経験した多種多様な底生の資産とたのは言うまでもありません。

チキンは距離の金融という意味を、サラキンは、サラリーマンを対象にした金融という語源を持つ言葉で、日本でのイメージはあまり良い方では良くありません。

青木維持は、難波金融もを終えた97年漫画家卒業を宣言した後に、各種コラム執筆や講演など、政治経済分野の幅広い分野で資本主義社会の問題点を指摘する文章を書いた。

朝日新聞にイラストレーター入ったコラム難波金融論を執筆したものもその頃である。

続いて彼は銭(ジェニー:お金の俗語)の人間学、銭の恋愛学、地下金融などの著書をピョネギドた。

彼の日本の末端資本論の著者と呼ばれるのもこのためだ。

青木維持の初期の漫画家サスライ。サスライとは流浪あるいは放浪を意味する。

無数の末端の仕事を転々としていた自分自身の生活を意味するようだ。

表紙絵は、自分の油絵の自画像。青木漫画の極細密画風を、この表紙のように続けて重ね塗りして塗りの油絵技法によって引き起こされたもので、日本の漫画家夏目房ノースけは指摘している。



(C)ナニワ金融道に映った日本経済の肌

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